地元産の素材と製造方法のこだわりが評判となり、全国から注文が入る

地元産の素材と製造方法のこだわりが評判となり、全国から注文が入る

店舗名中沢仲助商店 所在地新潟県佐渡市両津夷 業種水産加工品製造販売業

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
両津夷本町商店街は、佐渡両津港ターミナルから徒歩 10分の距離にある。佐渡島と新潟市を結ぶ佐渡の玄関口であり、島内一番の商業地として栄えた。しかしながら観光客の減少、居住人口の減少(昭和 30年頃約 3万人であったが、現在約 1万 7千人)、高齢化に加え、周辺地区への相次ぐ大型店出店等が大きく影響し、空き店舗率 32%となってしまった。

商店街の通りが他方へ抜ける生活道路となっているため、地元住民の自動車の交通量が多いが、自転車や歩行者の通行量は激減している。

中沢仲助商店は、明治 20年に水産加工業として創業し、東京、関西方面の市場等に卸していた。大正に入ってから現在の場所に店舗を構え、一部小売販売を開始。現在では、市場への卸は行っておらず自店での販売のみである。

店舗は両津夷本町商店街の中程に位置する。佐渡の土産として水産加工商品を購入する観光客が多いが、同店は両津港ターミナルから徒歩約 10分の距離にあり、観光スポットへの通り道でもないことから立地的に決して良いとはいえない。

【当店の特長】(特に優れている点)
@素材へのこだわり〜地元産に限定した仕入れ
中沢仲助商店では、“佐渡産”の水産物にこだわっている。一夜干しや佃煮などの惣菜の原材料となる鮮魚は、毎朝両津の魚市場で仕入れており、佐渡で水揚げしたもの以外は使用しない。その為、水揚げの内容によって思うように材料が揃わないこともある。その他、一部仕入れ販売を行っている乾燥した海藻類(ワカメ、アラメ、天草、イゴ草)や珍味も佐渡産のものに限っている。

A製造方法のこだわり〜干物は全て天日干し
売上の 8割を占める干し物の製造は、“天日干し”にこだわっている。機械乾燥を一切せず、全て天日干しの自然乾燥をしている。
機械乾燥に比べ天候、風に左右され手間もかかるが、内部までしっかり乾燥して水分が飛びうまみが凝縮されるため味の違いは大きい。
また、商品開発を絶えず行っている。干し魚として一般的に使われる魚だけでなく、佐渡で獲れる様々な種類の魚の加工を試し、新商品開発を行っている。

Bこだわることが販売促進となり、リピーター増につながっている
前述のように島外の観光客を取り込むには立地的な不利がある。しかし同店ではこれといった販売促進策を行っていないにも関わらず、遠方から電話やFAXでの注文が多く、顧客の 6割が佐渡島内、4割が島外の方である。

素材へのこだわりと製造方法のこだわりから、「干物の美味しい店」としてテレビや雑誌等各種メディアで紹介されたり、口コミで広がることで認知されているのである。掲載されている旅行雑誌を片手に来店する姿も度々見受けられる。

また、観光で訪れた際に購入しリピーターとなる場合や、土産として受け取った方がその美味しさから自分で取り寄せる場合も多い。

月2〜3回のオリジナルDM発送で、顧客の固定化を図る

月2〜3回のオリジナルDM発送で、顧客の固定化を図る

店舗名池田呉服店 所在地佐渡市両津夷29番地 業種呉服、服地、婦人服小売業

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
両津夷本町商店街は、佐渡両津港ターミナルから徒歩 10分の距離にある。佐渡島と新潟市を結ぶ佐渡の玄関口であり、島内一番の商業地として栄えた。しかしながら観光客の減少、居住人口の減少(昭和 30年頃約 3万人であったが、現在約 1万 7千人)、高齢化に加え、周辺地区への相次ぐ大型店出店等が大きく影響し、空き店舗率 32%となってしまった。

商店街の通りが他方へ抜ける生活道路となっているため、地元住民の自動車の交通量が多いが、自転車や歩行者の通行量は激減している。

池田呉服店は、同商店街の中程に位置し、大正 2年の創業当初は呉服を中心に男女年齢問わず衣料品全般を販売していた。その後昭和 50年頃から男性用の取り扱いをやめ、現在は婦人服、呉服、アクセサリー、服地、寝具、その他雑貨類と女性用ファッション商品を中心に幅広く取り扱っている。

【当店の特長】(特に優れている点)
・ 多頻度のDM発送で顧客に情報提供し、コミュニケーションを図っている
池田呉服店の優れている取り組みとしては、DMを顧客とのコミュニケーション・ツールとして徹底的に活用し、顧客の囲い込みを行っていることである。

こうした販売促進の取り組みは、先代の社長の頃から始めており、月 1回程度、展示会やセールの案内を行っていた。当時からの収集分を合わせると顧客名簿は 2,000名を超えている。現在は、そのうち得意客約 500人を対象として、DMを発送している。(購買履歴等の情報は収集していない。)

DMの内容は、年数回の展示会やシーズン毎の大きな商品入れ替えだけでなく、部分的な入れ替え等、新しい商品のご案内として写真入りのオリジナルDMを発送する。

その他、セールの際にはDMとチラシを組み合わせて訴求する。紹介した商品が来店客との会話のきっかけとなっている。

DMは全て社長自身が事務スペースにあるパソコンとプリンターを駆使して、全て手作りで作成している。現在は月2〜3回、多い時は毎週作成して顧客に発送している。新たなブランドや商品の情報提供を高頻度に行うことで、商品訴求だけでなく、お店の認知度が高まり来店につながっている。

池田呉服店のお客様の 99.9%が固定客で、親子2代、3代という顧客も少なくない。立地する佐渡市両津地区では、近隣地区への郊外大型店の相次ぐ出店等、商業環境が悪化している。その中でDMを通して顧客への自店の露出度を高め、コミュニケーションを密にすることで、顧客の囲い込みに成功している。

伝統の手づくり飴と本格的で手ごろな価格の洋菓子で地域一番店

伝統の手づくり飴と本格的で手ごろな価格の洋菓子で地域一番店

店舗名菓子工房石黒( (有)シャトー石黒) 所在地東京都品川区中延 8-7-9 業種洋菓子製造小売業

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
東京都品川区の中延商店街(なかのぶスキップロード)は東急池上線「荏原中延駅」と東急大井町線「中延駅」を結ぶ通り沿いにあり、周辺は住宅街で最寄品店の多い近隣型商店街である。

菓子工房石黒は、「なかのぶスキップロード」の丁度中ほどに位置する洋菓子店。
洋菓子店とは言っても、菓子職人の修行から帰ってきた現社長のご子息へ実質的に経営移譲した 6年前から現在の店舗となった。
当店は、昭和 8年に先代社長が創業した手づくり飴(「石黒飴」と称す。)の製造小売業であった。現社長の代になり、昭和 43年には洋菓子も取り扱うようになり、前記のとおり 6年前に本格的な洋菓子店へと変わった。

【当店の特長】(特に優れている点)
@高品質な洋菓子を低価格で提供
ご子息が中心となって作るケーキを始めとした洋菓子は、品質が良く、かつ、ケーキは1つ 300円以内と驚くほど低価格である。これが、インターネットのグルメ情報サイトなどで口コミで評判となっている。いくつか口コミ情報例を挙げると、次のとおりである。

・とても美味しくて値段も安いケーキ屋さんです。焼き菓子やクッキー、飴も売っていて全て手作りで販売しているそうです。とても可愛らしい雰囲気のお店です。
・とても雰囲気が良いです。価格が安いのも魅力的!!つい、いろいろ試したくなってしまいます。
・私もこのページを見て、さっそくケーキをかいました。どのケーキも安く、とても美味しくて感動しました。
・子供の頃からケーキと言えば石黒でした (*^。^*)
息子さんがやるようになってからは、見た目も可愛いし味も美味しくなりました!
お父さんのケーキは素朴なケーキでそれはそれで美味しかったですよ。昔からの手作りの飴もまだ売ってますしね。お勧めはグランパニエです。
・最近荏原に越してきて、商店街をブラブラしてたら見つけました。価格の安さにビックリ !そして、見た目にもとてもおいしそうで凝っています。アップルパイはサクサクで大きなりんごがぎっしりです。今まで食べたアップルパイの中で一番おいしいと主人も絶賛でした☆ 3種類程ケーキを購入しましたが、どれもと〜ってもおいしかったです。全種類制覇したいなぁ!明日も買いに行こう☆

生菓子だけで常時
30種類以上あり、顧客も引きを切らない状況である。こうした商品の素晴らしさは、ご子息を中心とした職人さんの技能の高さとセンスの良さによる。低価格で提供できるのは、販売数量の多さによって可能となっている。

A店と製造現場が見渡せる顧客志向の合理的なレイアウト
来店客も多く、通常はパートの販売員が接客を行っているが、工場から店内がよく見渡せる構造になっており(逆に店内から工場内もよく見える)、客が多いときは職人全員が接客に当たっている。これは、顧客の待ち時間を可能な限り短くするもので、顧客志向であり機会ロスの解消にもつながる。

それだけでなく、商品づくりにも好影響を与える。顧客の好みや意見を職人が直接聞くことができることから、次の商品開発のヒントを得ることができる。また、商品の販売状況の確認もできるので種類別製造計画に役立つ。さらに、顧客から常に見られていることから、良い緊張感をもって製造に当たることができる。

B昔からの手づくり飴も好評で将来の商品開発に期待
社長手づくりの飴も、原料を厳選した高品質なもので、同じく低価格であり、高齢者の常連客を中心に好評である。飴の製造というめずらしさから、飴づくりの取材も多いとのことである。また、洋菓子と飴という組み合わせは、七五三などの時に千歳あめを買って、お祝い用にケーキを買う、といった相乗効果も発揮している。

さらに、将来ご子息が現社長から飴づくりの技法を習得すれば、純和風の飴と洋菓子を組み合わせた新商品の開発も期待される。

顧客ニーズに対応した商品開発と、きめ細かな店づくりでリピーターを獲得

伝統製法を守りつつ顧客ニーズに対応した商品開発と、きめ細かな店づくりでリピーターを獲得

店舗名いかだ焼本舗株式会社正上 所在地千葉県佐原市佐原イ3406 業種醤油醸造・食品製造販売

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
成田空港から電車で 30分の好立地にある佐原市は、江戸時代から昭和初期の歴史的建築物が今も数多く保存されており、国の「重要伝統的建造物郡保存地区」に指定されている。小野川沿いの街並みを散策すると、伊能忠敬旧宅や重要文化財が数多く、歴史的建造物に実際に住み、古くから商いを受け継いでいる店舗も多く見られる。
「いかだ焼本舗株式会社正上」は寛政 12年に創業しており、天保 3年に小野川沿いの景観地に建設された本店は、「県有形文化財」に指定されている。初代から 2代目までは食用油を製造したが、 3代目からは醤油醸造と、佃煮の加工販売を行なっており、現在の経営者で 10代目となる。
同社で醸造している生醤油は天然醸造であり、厳選された原材料を用いて天然醸造諸味を絞る昔ながらのまろやかな味わいである。近隣で採れた海産物の素材に合わせ、 5種類の生醤油を使い分けており、江戸時代より受け継がれた伝統製法を用い、佃煮などを製造している。現在では本店での販売の他、百貨店や駅構内のキヨスク、サービスエリア等でも同社の佃煮が販売されている。

【当店の特長】(特に優れている点)
@伝統製法を守りつつ、顧客ニーズを捉えた商品開発
同社の主力商品は、わかさぎを串刺しした形がいかだ舟に似ていることから名付けられた「いかだ焼」、殿様が家来の作った川魚を味わい名付けたといわれる「すずめ焼」などの串物である。その他に同社醸造の生醤油や佃煮、漬物、惣菜も取り扱っている。

二百年以上受け継がれた伝統製法を守り、江戸時代の味をそのまま再現した商品もある一方、日々新しい技術を取り入れ、時代ニーズに即した商品開発を行なっており、新商品を年に 3〜5アイテム発売している。江戸伝来の味は濃口だが、今は塩分が少なく薄味のものが好まれる傾向にある。伝統に安住することなく、顧客の声に敏感に反応した商品開発を行なうことにより、顧客を飽きさせない工夫に取り組んでいる。

同社の商品である串物や佃煮
A来店客や観光客のためのきめ細かな店づくり
観光地に立地するため、全国から観光客が訪れ商品を購入するが、その他にも関東近県在住の顧客が、買物を目的として一定サイクルで来店している。そうした観光客や顧客のためのきめ細かな店づくりを行っている。

(1)観光客向けに佐原ロケの写真展を紹介
佐原で行なわれた映画・テレビ・CMのロケの模様を壁一面に紹介している。「ロケのまち佐原」写真展(2)商品の味を事前に確認できる「味見処」を設置。
初来店者が購買前に商品を事前に確認し、リピーターが新商品の味見をできるよう、味見所を設置している。味見所では店員がお茶を配るサービスもある。

(3)「まちぐるみ博物館」として「お宝」を展示
小野川近郊の複数の商店街により「佐原おかみさん会」を設立し、昔から大切に伝えられてきた各家の道具やお宝を展示する「まちぐるみ博物館」を実施しており、同社本店でも二百年の歴史を今に伝える道具を展示している。

他にないこだわりの品揃えで、多くの地元客や観光客で賑わう雑貨店に!

他にないこだわりの品揃えで、多くの地元客や観光客で賑わう雑貨店に!

店舗名 中村屋商店 所在地千葉県佐原市佐原イ 業種小物・雑貨販売

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
千葉県佐原市の中央部を流れる小野川沿いは、「伊能忠敬旧宅」や古くは江戸時代からの商家の建物があるなど、国・県指定の有形文化財が数多く立ち並んでおり、一帯は「重要伝統的建造物保存地区」に定められている。
中村屋商店は、保存地区のほぼ中央部、小野川沿いの「忠敬橋」のたもとに位置する。JR佐原駅から徒歩 10分程の距離にあるが、観光で訪れる人の大半が通過する商業立地としては一等地にある。中村屋商店の店舗家屋も、安政 2年(1855年)の建築であり、千葉県有形文化財に指定されている。

中村屋商店は、現在の経営者で 5代目にあたる老舗で、畳材料の卸商として明治 7年に創業し、ほどなく畳材料の専門卸業となる。平成 5年に、事務を手伝っていた夫人が現業の傍ら店先に自身の手作りの雑貨類を並べて販売したのが、現在の「和風小物・雑貨店」の始まりである。夫人は、小野川沿いの町並み見学や、伊能忠敬記念館等を訪れる多くの観光客が店の前を通るのを眺めていて、何とかこの好立地を活かし、観光客相手の商売をしたいと考えたのがきっかけだった。
平成 13年に需要が減少していた畳の材料卸業を廃業し、「和風小物・雑貨店」に絞り込んだ。翌平成 14年の売上は飛躍的に増加し、以降順調に伸び続けている。
経営者も営業に参画し夫婦で“こだわりの店”につくり上げたことと、佐原市の“観光による街づくり事業”による観光客の増加が大きく影響している。

【当店の特長】(特に優れている点)
@歴史ある建物を活かした、見ているだけで楽しく飽きさせない店内 中村屋商店は、その築 150年の商家の建物に誰もがまず目を惹かれる。そして、開け放たれた木枠のガラス戸から内部に入ると、可愛らしい和風の雑貨、小物類がところ狭しと並んでおり、珍しい商品を 1つ 1つ見ているうちに、どんどん店奥に引き込まれていく。

根付、手ぬぐい、袋物、和紙の葉書、下駄など「和のもの」で統一された商品が、その建物と風情ある町並みに調和しており、昔の「小間物屋」を連想させる。その雰囲気と品揃えの豊富さが、来店客の滞留時間を長くし客単価アップにつながっている。

A「和」、「手づくり」、「他店との差別化」にこだわった品揃え 様々な和雑貨を販売する中村屋商店であるが、品揃えに関しては「どこにでもある土産物は扱わない」を基本ルールとしている。

店内各所の目立つ場所に配置されているのは、他の店で全く扱っていない“中村屋オリジナル商品”である。エプロン、割烹着、袋物、コースター、日めくりカレンダーなど夫人手づくりの商品は、 2つとして同じ商品がない。“中村屋オリジナル商品”としては他に、同店がデザイン企画し製造委託している装飾品などがあり「佐原」にちなんだものが多い。

オリジナル商品以外でも、地元の方の手づくりの創作品の販売や、佐原市の祭り「佐原の大祭」用の商品、千葉県の工芸品を扱うなど、他にない“地元”を意識した物が目立つ。

夏季の一番の売れ筋は、千葉県内で初めて経済産業省の伝統工芸品に指定された「房州うちわ」である。和紙と布の扇面が美しく全て職人の手作業によりつくられたうちわ(価格はサイズにより 1,260円、1,500円、2,000円)である。

「オリジナル」「地元」のもの以外は、東京で開かれる展示会や問屋を回るなど、自店のお客様に合った新しい商品を探して取り入れており、現在約35社から仕入れている。ここでも「他店であまり扱っていない」を重要条件とし、夫人の見立てで少量生産かつセンスの良い和雑貨を仕入れている。

このように、単なる土産物に留まらない“こだわりの商品”が多いことから、観光の中心にありながら地元固定客も多くついており、佐原市内や周辺部の市町村から定期的に来店して購入する人も増えている。正確に採取したデータではないが、全体の購買客数のうち、地元周辺部の方と遠方からの観光客は、半々の割合である。

食料品販売業から卓球用品販売店に見事に業態転換を果たす!  木村缶詰食品

食料品販売業から卓球用品販売店に見事に業態転換を果たす!

木村缶詰食品(有) 所在地 青森県弘前市土手210 業種卓球用品、卓球場の運営、食料品小売業

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
当店の創業は大正元年で、現在の経営者である木村雅之氏( 53歳)は3代目に当たる。大学卒業後、地元スーパーに就職して 29歳まで経験を積んだ後に家業に就いており、50歳から社長として経営を行っている。

当店の事業は、会社の名前にもある通り、缶詰食品の製造販売を行う会社から始まっている。先々代は北海道のコンブや海産物の仕入れからスタートし、その後、「まるめろ」(果物の一種)などの缶詰食品の製造販売にまで拡大してきた。

そして、県内外の酒屋さんや食料品店を対象に食料品の卸売を手広く展開し、最盛期には従業員数も 20人以上を抱えていた。しかし、その後の流通革命による大型店の出店によって周辺地域の小売店が衰退する中で、お店の生き残り戦略として5年前から卓球用品の販売に活路を見出している。

卓球に目を付けたのは、経営者自身が学生時代からクラブ活動等で選手として活躍して慣れ親しんできたことや、卓球用品の専門店が市内になかったことなどが大きな理由である。

現在では、売上の 85%が卓球用品で、残り8%が食料品(主に仏事などの盛り籠セット需要)、7%が卓球教室や卓球場の賃料収入となっており、折からの「愛ちゃん」ブームに乗って見事に、卓球専門店に業態転換したことが当たっている。

【当店の特長】(特に優れている点)
@卓球用品と食料品の複合店舗を実現!
当店は商店街のハード事業(セットバック、カラー舗装、統一ファサード事業など)に合わせて店舗の新築を行った。店頭のファサードには「木村缶詰」と「兵兵球(ぴんぽん)館」と書かれた看板が人目を惹く。一般の人は「兵兵球」をピンポンと読むことはできないために、聞きにくる人もいるそうである。

店舗の面積は合計 60坪、店奥の卓球場が約40坪、物販用の店舗が約20坪の構成となっている。また、店舗は半分に仕切られ、左側にギフト用の食料品を陳列、右側に卓球用品が陳列されている。

A卓球場を併設して卓球用品販売と相乗効果を発揮!
店舗運営は、物販部門は奥様の良子氏が中心になって接客に当っており、社長は卓球用品や道具の選択に当っての相談事や技術的なアドバイスを行なっている。さらに、学校関係などのチーム対応を含めての対外的な活動も、社長の重要な仕事となっている。

店の売上構成の 85%を占めている卓球用品の顧客には2つの大きな山がある。1つは小学生から高校生までの子供・学生層で売上の6〜7割を占めている。また、もう1つの山は50代以上の中高年層が3〜4割を占めている。

また、これらの顧客は市内からはもちろん近隣の市町からも来店しており、広域から来店している。これらの層が卓球用品の顧客になり、1日平均で 100人前後のお客様が来店し、土日には近隣の市町村からのお客様も増えてくるとのことである。

売上の内訳はユニフォームなどの衣料品類が3割、シューズが3割、ラケットやピンポン玉、小物類などが4割という構成になっており、幅広い品揃えが大きな武器となっている。

B有名選手を招いてのイベントも企画!
卓球用品の仕入れは主要卸3社から仕入れており、販売促進は有名選手を招いての「講習会」を定期的に開催している。この取材を行った10月18日には「渋谷浩」(元全日本選手権チャンピオン)選手を招いての講習会が企画されていた。このような選手を招けるのも、社長が弘前卓球協会の役員を引き受けていることも影響している。

卓球場の経営は卓球教室の運営と一般の賃貸収入である。卓球教室は2つのグループがあり、1つは午前中の 40代〜70代までの女性を中心としたグループ(20名程度)と夜の小学生・中学生(50名程度)のグループである。

一般の賃料は1時間300円(大人)と150円(子供)で、この外に「トレーニングマシン(自動で玉が飛び出してくる器械)を1時間500円で貸し出している。

最後に、食料品の販売は、今では冠婚葬祭等のギフトセットを主体としており、これまで築いた人間関係を中心とした販売となっている。このような中で販売の主体は完全に卓球用品の販売を中心に展開している。

そこで、当店の特徴として、@卓球用品の品揃えの豊富さを武器に、A社長の人脈等の人間関係の広さを生かしたイベント企画、B専門店としての専門知識・技術(例えば、ラケットの握り部分を削って持ちやすくする等)の付加価値サービスを行うことによって集客に結び付けている。

新旧の融合と接客サービスの充実でモダンな店へ変身! 青森県弘前市 杉見糸店

新旧の融合と接客サービスの充実でモダンな店へ変身!

店舗名(株)杉見糸店 所在地 青森県弘前市土手町206 業種手芸用品、婦人服、化粧品小売業

【店舗の概要】(沿革、立地、経営者、取扱商品など)
弘前市の上土手町商店街振興組合は、弘前市の中心部に位置して中心市街地を形成していたが、駅周辺部に大型店のダイエー、イトーヨーカドーなどが進出して商業の重心が移動した。
その後、大型店の郊外への出店がさらに進み、中心市街地区の衰退に拍車がかかったが、市の区画整理事業や県の街路整備事業と一体となった形で商店街近代化事業が平成 15年 10月に終了した。
その商店街の通り沿いにある杉見糸店の創業は明治 43年で、現在の店舗のあるところで糸の卸売業として創業している。現在の経営者は 4代目で学校を卒業した後、東京で衣料品関係の卸会社で修業している。

その後、 30歳で実家に戻り家業に就き、上土手町商店街振興組合の専務理事という大役も担っている。東京から戻ってきた当時は郡部や県内の呉服屋への糸の卸売業が盛況で、年商 1億円以上の商いをしていた。
しかし、糸の卸売りが停滞したことから、 15年前から女性向けの衣料品や手芸用品の小売業を開始している。そのために、表の上にある看板には「ホビー&クラフト スギミ」という看板が掲げられている。
さらに、5年前から化粧品小売業も合わせて行っており、現在の売上構成は糸を中心にした手芸用品、衣料品、化粧品がそれぞれ3分の1となっている。また、従業員は奥様を含めて 4名で店舗運営を行っている。

【当店の特長】(特に優れている点)
@「古い家具類や看板」を有効活用して商品展示や接客テーブルに 店舗の外観はお店の前に立つと、右側のガラス面には黒地に金文字の立派な看板が目に入ってくる。これを見ただけでもお店の歴史の積み重ねを感じさせてくれる。
また、化粧品コーナーにさりげなく置かれている接客用のテーブルは、表の看板に足を付けたもので、昔からあるものをうまく活用している。
そこでまず、第一に歴史の古い糸・毛糸を中心とした手芸用品部門の品揃えは、売場面積の 6割を占めている。そのために多種のアイテムを品揃えしていることが分かる。

売場の 1階と2階に分けて糸と関連するボタン、毛糸、手芸用の布などの商品を幅広く品揃えしている。また、1階に置かれている小物を陳列している大きな棚は、お嫁さんとして嫁いできた「嫁入り道具」である。
また、お客様の要望に応じてオリジナルの手作り商品も販売している。例えば、オーダーメイドで夏のお祭り用品などでオリジナルの袋物やタイコのバチを入れる袋物などの製造を行っている。
商圏の半分は地域の半径1Km以内のお客様が中心であるが、糸などの手芸用品では郊外からのお客様が半分を占めている。また、手芸用品の販売に当っては、お客様を待っているのではなく、年に1回東京からメーカーとタイアップして手芸専門の先生を招いて手芸教室を開催している。

弘前市内や郡部で手芸教室を開いている地域の先生方を対象に行っており、手芸用品の販売促進に繋げている。この販促を行うことによって大手スーパーの手芸用品コーナーとの差別化を図っている。

A中高年の女性向け衣料品は個々のお客様対応で仕入れる第二は 15年前から取扱いを始めた衣料品である。衣料品と化粧品については女性向けということもあり、担当は奥様の由美子氏が中心となって仕入れ、販売・接客を行っている。
主な対象顧客は 40代以上の女性で、主にカジュアル衣料を中心に品揃えをしている。また、商品の仕入れに当っては毎月1回、東京の衣料品問屋が集中している東京・横山町まで足を運んでお客様をイメージして合う商品の仕入を行っている。

また、お客様によってはセーターなども特注品としてオーダーメイドで製造販売を行っている。さらに、お客様からの要望を聞いてお取り寄せサービスなども行い、顧客の固定化に努めている。

B化粧品販売にも取組みコンサルティングセールスに力点を入れる
第三には5年前からスタートした化粧品販売である。スタート時にはあまり力を入れてなかったが、たまたまカネボウの化粧品で専門店向けのブランド「リサージュ」を紹介され、これならば力を入れる価値があると判断して真剣に取り組みを始めた。
現在は固定客(200人)を対象に、皮膚の診断ツール(スキンアナライザー)を活用して、皮膚の手入れを含めた顧客に合った化粧品のコンサルティングセールスを展開している。

また、メーカーとタイアップして近所の上土手スクエア(会議室)を借りて月に1度、エステ教室を開催して新規顧客の獲得を図っている。9月もイベントを開催しているが8名の美容部員をメーカーから派遣してもらい、午前 10時から午後6時までの間に 30名の参加があった。
化粧品販売での販促のポイントは顧客のデータベースを基にDM、電話などのコミュニケーションツールを活用したり、サンプルの有効活用によって顧客の固定客化に努めている。
奥様に日頃から心がけていることをお聞きしたところ、まずはお客様の要望を「よく聞く」ことからスタートするとのこと。まさに、奥様の接客技術が生かされている感じを受けた。

調理玩具が時代にマッチ! クッキングトイ人気の火付け役 株式会社バンダイ

日本における玩具の市場規模は6600億円を超えるという。そのなかで、2008年以降の「内食(ないしょく)」ブームを背景にヒット商品を生んだのが「バンダイ」だ。同社のオリジナルにして、ユニークな人材活性戦略に迫る。

調理玩具が時代にマッチ! クッキングトイ人気の火付け役
ご飯と好きな具を置いてハンドルを回し、最後にのりを入れてまたクルクル。すると、本格的なのり巻きが完成し、ポンッと跳ねて飛び出てくるのが人気商品の「のりまきまっきー」だ。2007年の夏に発売を開始した、"クックジョイシリーズ"第一弾の女児向け玩具だ。小さなお子さまでも料理を楽しめる簡単さ、火や電気を使わない安全性から、親子でコミュニケーションをとりながら楽しめるところが魅力となり、販売予測を上回る大ヒットにつながった。

楽しく簡単に料理や食事ができるという食育的な要素がある。その一方で、2008年以降の"内食"志向も相まって、ホームパーティー用に大学生やOLが購入するケースも目立った。こうして支持層を広げたことで、勢いに弾みがついたクックジョイシリーズは、ギョーザの皮を包む「餃子メーカー くるりんパオ!」など10種類が発売されており、累計販売は50万個以上。「これまでも、調理ができる玩具は存在していました。ただこのクックジョイシリーズのヒットによって、女児向け玩具市場の中に、"クッキングトイ"という新しいカテゴリーを確立できました」と広報の馬渕氏。バンダイではほかにも、30周年を迎えるドンジャラやボードゲームなど、家族で遊べるヒット商品を数多く生み出してきた。

ヒットを生み続ける風土づくりの秘策は「タフな社員教育」
バンダイでは、今後もヒットを生み出し続ける土壌づくりの一環として、社員研修に力を注いでいる。なかでも、「バンダイ アドベンチャー プログラム研修」は、入社後に行われる2泊3日のタフな野外合宿研修だ。入社したばかりの社員が、先輩社員とともに、チームで難関続きのアスレチックに挑む。その内容は安全ベルトをつけての綱渡りあり、ビル3階ほどの高さからのジャンプあり・・・。

おびえていたメンバーが乗り越えられたときには、チーム全員大喝采(かっさい)。励まし合いながら課題をクリアしていくのだ。また、工具を使わずに木材を組み合わせて車を作り、チーム対抗でレースにも挑戦する。ときにケンカしながら、一つのモノをみんなで作り上げていくのは、チームビルディングの良いケーススタディーとなるのだ。こうした入社後の研修だけにとどまらず、同社では常にスキルアップの場も用意されている。バンダイアカデミーは、「マインドUP」「知識・スキルUP」「エンターテインメント魂UP」などをテーマに実施している、自主参加型の研修プログラム。自分の志向に合ったスキルが学べるとあって、任意であるにもかかわらず毎回参加する社員もいたりするほど。時には、他業種メーカーから講師を招きヒット商品の成功事例を学ぶ講演会もあるという。また、階層別研修では、リーダー、マネージャー、GM(ゼネラルマネージャー)など、それぞれのステージで必要とされる人材要件に合わせた教育がなされている。こうして個々のスキルアップとともに、組織人としてのスキルを高める双方の教育制度がバンダイの強さとなっているのだ。人事部の國吉氏は語る。「研修は"気づき"の場。さまざまな場面でたくさん刺激をうけて、職場で新しい発想へと生かしてほしいです。自分の成長や目的のために、研修をツールとして使ってもらえたらと考えています」

編集後記
アイデアの出し方から、そのアイデアを商品化・事業化するまでのプロセスをフォロー。アイデア出しのTipsも多数紹介。

ヒット商品を生み出すネタ出し練習帳

世界初の偉業を成し遂げた探査機「はやぶさ」 JAXA(宇宙航空研究開発機構)

数々の困難を乗り越えて小惑星「イトカワ」からの帰還を果たした無人宇宙探査機「はやぶさ」は、2010年を彩る数多い話題の中でもひときわ輝きを放っている。そして、はやぶさのプロジェクトを立案・実行し、成功に導いた宇宙航空研究開発機構(通称:JAXA)にも注目が集まっている。「宇宙探査」という壮大かつ緻密(ちみつ)なプロジェクトを成功させる組織にとって必要な人材採用と育成の戦略を探る。

世界初の偉業を成し遂げた探査機「はやぶさ」
2010年6月13日、世界中の注目を浴びた無人宇宙探査機「はやぶさ」が地球に帰還。宇宙空間に浮かぶ小惑星「イトカワ」への無人航行による往復という世界初の快挙を成し遂げ、日本の高い技術力を世界に示した。長い旅路の果てに、世界中の人々が見守る中で大気圏に突入して燃え尽きた姿は、まだ記憶に新しい。この史上初のプロジェクトを実行し成功させたのが、日本の宇宙開発の拠点である宇宙航空研究開発機構(通称JAXA)だ。

はやぶさの地球帰還に先立つ2010年5月21日には、金星の大気調査を目的に新たな探査機「あかつき」の打ち上げにも成功。あかつきは金星の周囲を巡回し、金星の大気の様子を調査することになっている。また、2007年に打ち上げられた「かぐや」では、月面のハイビジョン映像の撮影に成功し、多くの人を感動させるに至った。こうした、さまざまな宇宙開発への取り組み行うJAXAは、宇宙探査において目覚ましい成果をあげている。

宇宙産業を支える約1600人の巨大組織
そもそもJAXAとは、大型ロケットや人工衛星、宇宙ステーションなどを開発してきた宇宙開発事業団(NASDA)、宇宙や惑星の研究を中心に行ってきた宇宙科学研究所(ISAS)、航空宇宙技術の研究開発を行ってきた航空宇宙技術研究所(NAL)の3機関が2003年10月に統合されて誕生した独立行政法人だ。

職員は約1600人おり、全国の事業所や施設は約20カ所を数える。もちろんその中にはロケットの打ち上げで有名な種子島宇宙センターも含まれる。
JAXAは、先に挙げたはやぶさやあかつきといった宇宙探査事業のほか、日本の独自技術によって開発した大型ロケット「H-IIA」や「H-IIB」、通信衛星や地球環境の観測衛星の打ち上げと運用、国際宇宙ステーションへの参加と独自の実験棟「きぼう」の運用、さらには国産旅客機の実現に向けた技術開発などを行い、日本の宇宙航空産業の根幹を担っている。

編集後記
星のかけらを拾って地球に戻るまで、60億キロを、7年間かけて旅をした惑星探査機の運命。その全プロセスにおいて、プロジェクトチームに綿密な取材を続けてきた著者が、他では知り得ない情報をふんだんに盛り込んだ。「はやぶさ」ファンも知らない未公開の事実、わくわくする証言が続々と公開される。

小惑星探査機はやぶさの大冒険

老舗:(有)但馬屋老舗 大分県竹田市上町40番地

老舗:(有)但馬屋老舗 大分県竹田市上町40番地

1925年(大正13年)にJR豊後竹田駅ができ、竹田市の中心商店街が移ってしまった。和菓子店を営む但馬屋老舗が立地する通りは、江戸時代には参勤交代の行列が通ったという古くからあるメインストリートだったそうだ。
 
今、この通りを散策するのは、竹田の雰囲気や、まち歩きを楽しみたいという観光客である。といっても、観光地らしい派手さはなく、温かくもてなしてくれる雰囲気が竹田にはある。そして、但馬屋老舗は竹田のまちによく似合う。優良経営食料品小売店等全国コンクールで農林水産大臣賞に続き、全国菓子大博覧会でも大臣栄誉賞(農林水産大臣賞)を受賞。和菓子でも、和菓子店の経営技術でも最高の評価を得た。

いつものお菓子をいつものように
但馬屋老舗を訪ねたとき、何世紀かタイムスリップしたような気がした。店構えだけ見ると、まるで時代劇に登場する旅籠のようでもある。「古めかしい」「由緒ありげ」「立派な店構え」、人によって印象は様々だろう。だが、紺地に白い文字で抜いた「御菓子所」という暖簾で何を商っているかを知ることができる。一体いつごろの建物なのだろう。

板井良助社長が本店の隣に併設された「茶房だんだん」で説明してくれた。
 「この辺りは西南の役で焼かれ、この店も1878年に約130年前に建てられた商家を改造したものなんです」

130年とはすごい、と感心するのはまだ早かった。なんとこの店の創業は1804年(文化元年)というから、まもなく200周年を迎える。大分県下では最も歴史ある和菓子店だそうだ。初代は兵庫県の出身、京都で菓子作りを修業した後、岡藩の御用菓子司として当地に店を構えた。現社長は6代目。代々当主の名前は「○助」とついているが、初代から4代目までは幸助の名を世襲してきた。
正面からだと全体が写真におさまらないほど道幅は狭い。手前が店舗、隣は茶房だんだん

そして、但馬屋老舗を代表する菓子が「三笠野」。岡藩の8代藩主が参勤交代の折に、好物であった奈良の菓子を持ち帰って家臣に分け与えた。これが慣例になり、10代藩主のときに初代但馬屋幸助に倣い作らせて完成させたといういきさつがある。三笠山・春日野にちなんだ菓子とのことで、三日月のような形が「天野原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出し月かも」(阿倍仲麻呂)という和歌を思い出させる。皮の香ばしさとあんの組み合わせが飽きのこない上品な味わい。鯛焼き屋は鯛焼きだけしか販売していないが、「三笠野」だけで商売が成り立つのではないかと思えるほどの但馬屋の代表作である。

「三笠野」のレッテルに印刷された文字は江戸後期から明治にかけて画聖として知られた田能村竹田の版木によるもの。彼は岡藩の藩医の家に生まれ、初代と親交があったそうだ。

そして、もうひとつの代表作は「荒城の月」。大正時代までは「夜越(やごえ)の月」と呼ばれ、明け方の白い月をイメージして外側は白い淡雪かん、中身は黄味あんが入っている。土産に持ち帰るならば「三笠野」とどちらにするか迷ってしまう。客の心を先読みしてくれたのだろうか。ちゃんと「三笠野」とのセットが何通りか用意されている。

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