空洞化した街に「ガラス」で観光客200万人 滋賀県長浜市 株式会社黒壁

第三セクター「黒壁」が民間主導でガラス事業を展開。都会から帰ってきた若い後継者が家業に専念しながら、伝統文化「長浜曳山祭り」を愛し、継承。

長浜は秀吉がはじめての城持ち大名になった地で、また大河ドラマ「功名が辻」の「山内一豊」は三代目の長浜城主である。当地は「楽市・楽座」で知られるように、430年の間商業の街として栄えてきた。特に、地場産業として高級絹織物「浜縮緬」が長く当地の地域経済を支えてきたが、和装の衰退と共に業界も縮小していった。

また、昭和50年代に入りモータリゼーションの発達、大資本のショッピングモールの郊外進出などにより、中心商店街は急激に疲弊していき、商店主は高齢化し、シャッター通りとなっていった。かつては、湖北地域15万人の商圏を誇っていた商店街は、月間わずか約4,000人の来街者となり、日曜日の午後1時間にメイン通りを「人4人と犬1匹」しか通らなかった。当然、市民の悩みはこうした経済の衰退によって生活が脅かされることであるが、それだけでなく、秀吉の時代から護り継がれてきた豪華絢爛な子供歌舞伎を曳山と呼ばれる山車の上で演じる「曳山祭り」の継続が困難になることが問題となっていた。

さらに追い討ちを掛けたのが、昭和60年代初めにカトリック教会の郊外移転に伴い、旧黒壁の建物が売却され、その跡地にマンションの建設計画が持ち上がったことである。この建物は、明治33年に国立第百三十銀行長浜支店として建てられその黒漆喰の洋館である外観から「黒壁銀行」として親しまれ、その後、明治銀行、専売公社、カトリック教会に姿を変えながら街の賑わいを見つめ続けてきた。この街のランドマーク的な建物が取り壊されると聞き、当時の市役所職員が危機感を持って、地元の財界人に相談を持ちかけた。

そこで立ち上がったのが、青年会議所OBを中心としたメンバーで、貸しビル業、ホテル業、金属加工業、建設業、倉庫業などの様々な業種の企業家達である。当初、土地、建物の買戻しと修復資金等で1億3千万円の資本金(長浜市 4千万円、民間8社 9千万円)で第三セクター「株式会社 黒壁」がスタートした。建物は確保できたが、事業として何をするかが未だ決まらない。何度か役員会を重ねるうち、初代社長から「ガラスを作っている所には沢山の人が集まる。ガラスをやろう」との提案で、役員がヨーロッパに行き、超一流のガラス文化に感動し、長浜で本物のガラス事業を展開することとなった。

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